1: 名無しさん 01/12/11 00:52
現代の大相撲と違って不明点が多いのでみなさん教えてください。

3: 名無しさん 01/12/11 00:58
とりあえず質問
預かり、引き分け、無勝負などの基準ってなんですか?
年2場所時代に10回優勝してる常ノ花がそれほど評価されないのはなぜですか?
東西制ってどんな制度ですか。昭和40年代の部屋別総当りになるまでの変遷は?

4: 名無しさん 01/12/11 01:13
分かるところだけ真面目に答えよう。
常ノ花が低い評価の理由
1、同時代に栃木山、大錦(大五郎)の二横綱がおり、同門なので
対戦をしなかった。一時期の二子山部屋のようなものです。
2、彼が君臨した大正末期は大相撲はあまり人気がなかった。
三河島事件(力士の待遇改善を求めて力士自身がストをした)など、
でもめたりしており、むしろスポーツの人気は早慶戦に代表される
大学野球だった。これが相撲中継の放送開始にのちに結びついていきます。
東西制=文字通り、東と西の対抗戦。片屋別だから、違う部屋でも
同じ片屋なら対戦はありません。
昭和6年春まで 東西制
6年夏から15年春まで 系統別総当り
15年夏から22年6月まで 再び東西制
22年11月から39年11月まで 再び系統別
40年1月より 部屋別総当り制(現行)
間違っていたら誰か指摘してね。

6: 名無しさん 01/12/11 08:03
>>4
詳しく答えていただきありがとうございます。
ってことは東西制は、東方力士は、東方力士とは対戦しないってことですね。
例えば、現在東の横綱と東の大関が対戦するとき東の大関がその日だけ西にまわるけどそういうことはないってことですね。

19: 名無しさん 01/12/12 16:03
>>4
その出羽の海勢を敵にまわしてた西の海3はある意味不憫だね。
怪力だったようだけど地味だったらしいね。

5: 名無しさん 01/12/11 01:16
あと、系統別総当りは、師匠と弟子が同じ部屋の出身なら
対戦はない。
たとえば、立浪-時津風、春日野-出羽海、二所ノ関-佐渡ヶ嶽など。
いまこれをやったら、割りはほとんど組めませんね。

8: 名無しさん 01/12/11 12:40
>1、同時代に栃木山、大錦(大五郎)の二横綱がおり、同門なので
大錦卯一郎ですね。大五郎には勝っても評価されないかもしれません。

系統別総当りは変則的なところあったと聞いていますが、正確なところは
分りません。立浪-時津風は本家同士は対戦無しですが、他は立浪一門と
時津風一門は対戦していたと思います。追手風部屋は立浪一門だけど
本家以外の一門の部屋とは対戦していたような気がします。

無勝負は行事が宣言。江戸時代で消滅。
預かりは物言いがつけば、今はきわどいのは取り直しだけど、
当時取り直しの制度がないので、預かり。
引き分けは組んで動かなくなったら引き分け。今より安易に
引き分けにしたと思っています。

その他の違い(明治に変化したものも含む)、土俵の形(二重土俵)、
大きさ。行司の装束、大阪にも相撲があった。京都相撲もあった。
国技館がなかった。ちゃんこがなかった。番付に横綱はいなかった。
庄之助より格上の伊之助がいた。庄之助が必ずしも行司のトップでは
なかった。観察制度があった。現役でも年寄りになれた。行司でも
年寄りになれた。民間人でも年寄り(頭取)になれた、ただし大阪。
現在より小さかった。TV放送が無かった。力士の移籍が今より緩やか。
外国人力士がいなかった。学生出身の力士がいなかった。
(中学出身はいました。例 確か大錦卯は天王寺中学)
柱があった(これは変わったのは昭和)、審判(検査薬)が土俵の上に
いた。力士からの物言いが沢山あった。・・・・・
だれか続きをお願いします。

10: 名無しさん 01/12/11 12:49
あ、今よりも簡単に分けたっていうのはあるでしょうね。
琴ノ若なんか昔のルールならかなり引き分けてそうですね。

21: 名無しさん 01/12/13 20:27
>>10
そうですね。昔はすぐに引き分けにしていました。
水入りは2回目で引き分けで、2番後取り直しはなかった。
梅常陸時代あたりには、立ち上がって攻防の後、四つに組んで動きが止まると、
まもなく水が入ったらしい。
同体の場合も、取り直し制度がないから、預かりになってしまった。
昭和から取り直し制度が出来ました。

11: 名無しさん 01/12/11 16:57
50連勝以上した、谷風、梅ケ谷、太刀山が現在のルールでやってたら、ここまで伸びなかったかもね。
ってことは、分け、預かりなしの69連勝はつくづくすごいと思うね。

16: 名無しさん 01/12/11 22:21
かつての相撲には土俵はありませんでした。
土俵が発明されたのは江戸時代あたりだったと
思います。

それまでは筋肉隆々の力士達が殴る蹴る投げ倒すという
すさまじい攻防を繰り広げていたのです。

その流れは現在、柔道、合気道、日本拳法に部分的に受け継がれています。

18: 名無しさん 01/12/11 23:27
のみのすくねVSたいまのけはや(漢字わかりません)の決まり手は「蹴殺し」だもんね。

20: 名無しさん 01/12/13 00:51
西ノ海は3人ともパッとしないな。梅ケ谷は2人とも目立ってる。

22: 名無しさん 01/12/13 20:46
晩年の常陸山・梅ケ谷戦は、お互い横綱の権威を守るために、引き分けにしていたらしい。
また、晩年の常陸山は、すでに太刀山には勝てなくなっていた。
ある場所(明治43年1月か45年1月)、太刀山との対戦の当日、常陸山は突然、休場すると申し出た。
協会は説得にあたり、引き分けにするという事で、常陸山に出場してもらった。
真偽のほどは定かではないが、大正時代の相撲雑誌に書かれていた。
力士の勝率の計算では、引き分けはカウントしないので、常陸山の勝率は9割を超えるが、
これを昭和以降の双葉山・大鵬(8割台)、北の湖(7割台)と比べるのは無理があると思います。

24: 名無しさん 01/12/14 00:39
太刀山って金星供給0なんだよね。まあ引き分けで逃げてたかもしれないけど。
それに匹敵するのが玉の海の1個。全盛期で亡くなったとはいえすごくない?

25: 名無しさん 01/12/14 11:59
横綱になってからの太刀山は分も預もほとんど無いよ。
平幕戦に限ればゼロ。常陸戦の分と朝潮戦の預が1回ずつあるだけ

27: 名無しさん 01/12/14 22:31
双葉時代の直前、相撲界の人気を一手に受けた
文ちゃんに限る。

29: 名無しさん 01/12/16 02:47
>>27
最後は三段目まで落ちちゃった文ちゃんね。

引用https://sports.5ch.net/test/read.cgi/sumou/1007999551/