ようやく自分の作りたかった動画が形を為してきた気がします。
動画のテーマを募集しますので何なりとおっしゃって下さいませ。


以下原稿です



2ch大相撲と申します。5月場所が終わり、注目は来場所へ向かいますね。一番の注目ポイントは照ノ富士は横綱になれるのか?という事だと思います。そこで今回の動画では、過去の事例を元に横綱昇進の条件について学んでいきたいと思います。 まず最初に横綱になる為の条件をおさらいしていきます! 横綱になれるかは以下の内規に基づいて決定されます。 横綱に推薦する力士は品格、力量が抜群であること。 大関で2場所連続優勝した力士を推薦することを原則とする。 第2項に準ずる好成績を挙げた力士を推薦する場合は、出席委員の3分の2以上の決議を必要とする。 品格については、日本相撲協会の確認に基づき審議する。 そして品格については以下の内規に基づいて判断されます 横綱に推薦する力士の品格は、次の事項を基準としてその良否を判断して行う。 相撲に精進する気迫。 地位に対する責任感。 社会に対する責任感。 常識ある生活態度。 その他横綱として求められる事項。 品格の確認は、上記基準につき当該力士の日常生活の観察および師匠の証言等により判断して行う。 協会は、確認にあたり判断した状況を添えて、委員会に横綱推薦を諮問する。 横綱になる為には強さだけではなく、品格も必要とされるというのは 大相撲の面白さですよね。 しかしこの横綱に昇進する為の条件に泣かされた力士も過去には何人もいるのです。 1.第63代横綱旭富士 最も昇進条件で泣かされたのは旭富士でしょう 旭富士は 1989年、1月場所から5月場所までの3場所を14勝(優勝同点)・13勝(次点)・13勝(同点)の合計40勝と極めて高いレベルで安定した成績を残しました。ですが当時の理事長は成績よりも相撲内容の点を多く指摘して横審への諮問を行わなかったため、昇進出来ませんでした。 これは、旭富士の3代前の第60代横綱、双羽黒が優勝を一度もせず、廃業し角界を去ったことに関して 横綱の権威について心配される声が多く上がったからでした。 この旭富士の横綱昇進以後、横綱昇進には2場所連続優勝が必要という流れになりました。 この流れは第70代横綱日馬富士まで続きます。 2. 小錦 小錦は1991年5月場所と7月場所を14勝(同点)・12勝(次点)、また同年11月場所から1992年(平成4年)3月場所までの3場所を13勝(優勝)・12勝・13勝(優勝)と極めて安定した成績を残したにもかかわらず、横審への諮問がなく昇進できませんでした。好成績を残していたものの、連続優勝が無いことから横綱の昇進が見送られたものと考えられています。 定例会で外国人であることが横綱昇進に何ら障害とならないという考えが確認されたが、ニューヨーク・タイムズ紙、日本経済新聞に「小錦が横綱になれないのは人種差別のせいだ」といった趣旨の記事が掲載され、人種差別問題へと発展していってしまいました。 3.貴乃花 貴乃花光司は、1993年 5月場所と7月場所を14勝(優勝)・13勝(同点)としたが、理事長から横審への諮問がなく昇進はなりませんでした。翌1994年は1月場所から9月場所までの5場所中3場所で優勝、うち9月場所では全勝を果たし(14・11・14・11・15勝)、9月場所後には理事長から横審への諮問が行われた。理事長の諮問がありながら横審が否定の答申をした例は、1969年11月場所直後の北の富士以降長年の間なく、新聞各紙も横綱昇進確実と報じたが、25年ぶりに昇進を見送られてしまいました。横審が否定の答申をした理由は、2場所連続優勝でないこと、特に7月場所の11勝で貴乃花の綱獲りは白紙に戻ったとしながら、次の9月場所中に出羽海理事長が横審に「内規の見直し」を要望し、明らかに貴乃花を意識した中で横審がこの見直しを受け入れるか決定する前に諮問を強行したことに対する横審の一部委員の反発などが大きな要因となりました。。それでも貴乃花は11月場所も15戦全勝し大関の地位で30連勝、大関の地位「2場所連続全勝優勝」という双葉山と日馬富士しか達成したことのない成績で、ようやく横綱昇進を果たしました。 如何だったでしょうか?平成の大横綱と言われる貴乃花でさえ、横綱昇進にはかなり苦労したんですね。 現在では横綱昇進の条件が緩和され 照ノ富士は優勝に準ずる成績さえ残せられれば横綱へ昇進する事ができます。 一度序二段に落ちた大関の奇跡の復活劇 最後は横綱昇進で締めくくれるでしょうか そうすれば間違いなく大相撲の長い歴史に刻まれますね!